我こそが滝川一益 少年期
更新日:2021年6月7日
石巻の龍神様と会ったのは去年の秋。
竜神様から「あなたは甲賀の忍者、新陰流を扱い、織田信長に仕えた家臣、滝川一益だ。」と伝えられた。
そして、龍の玉を授かりました。
「龍神様は全てがこの球体から成ってます。」と和紙を敷き、和紙の上で与えてくれました。
それからは不思議な力が舞い降りてきた。
このお話を書くことになったのも不思議な体験の一つである。
我こそが滝川一益 少年期
久助は父一勝と母朱鷺との間で甲賀の滝の城で生まれた。
生後約一年這い這い覚え、やんちゃに動き始めた頃、擽野寺のそばにある城館、一宇野城の踊場から土間に頭から落下した。動か無く、虫の息であった。その場に居た母朱鷺は慌てふためき、久助を抱きかかえ城内から駆け出した。
忍びの武医を何人か訪ねたが、皆もう助からんと宣告した。落胆し泣き叫んで居たところ、ふと巫師の老婆を思い出し、最後の神頼みということで老婆を訪ねた。
巫師の老婆は久助に手をかざし、「この子は大丈夫。後で血をいっぱい吐いて、良くなる。」と言った。赤子の頭はスイカ程に腫れ上がり、見るにも無惨な姿だったが、その後老婆の予言通りに血を吐き、徐々に息を吹き返してきた。生還したので有る。
久助の祖父貞勝は古代豪族白山王朝の末流で、甲賀にれて来た忍びで、甲賀忍びの中でもずば抜けた手練たもので、他の者を圧倒していた。五十三家組下であったが、いつか同名中惣までのし上がるのでは?とよく思わない者達から警戒されていた。そんなヤカラから、妖術使いの手により、妖術で久助は狙われたのであった。
久助の母は甲賀の中でも名の通った忍者武士の家で、彼女自身も優れた忍び 、くノ一 で八男一女の兄妹の末っ子であった、八人の優秀な兄の中で男同然差別なく育てられたので、男衆顔負けの くノ一 の技量を身に付けていたのである。
ある時父一勝が鉄砲調査に堺に足を運んだ。南蛮渡来の鉄砲が種子島に到来してその後、堺にも南蛮の船が往来し、鉄砲を扱う鍛冶屋が現れた。後々爆発的な製造力を伴う堺の鉄砲鍛冶屋が誕生するが、それは火薬を扱う一勝の様な忍者の影響力があったからであろう。一勝もその時調査と製造を依頼しにやってきたのだが、トラブルに巻き込まれ、堺から帰って来ることは無かった。久助五歳の頃であった。
滝川城、滝川支城、西城、五反田城などの多くの城を束ねる城主である一勝が戻らぬ。朱鷺は忍びを堺に向かわせるが詳しい事は分からぬが、どうやら何らかの騒ぎに巻き込まれて一勝は殺害されたのだと言う。慌てながらも朱鷺は素早く決意した。一勝に成りきるしかない。忍びの優秀な くノ一 である朱鷺には一勝の影武者を務めた事も有り、入れ替わることも可能ではあった。が、五十三家の鋭い目欺く事は容易なことでは無い事は知っていた。朱鷺の兄衆達が居たからこそで有る。
久助は姉の紀と、朱鷺の兄衆の娘達といつも忍びを学んでいた。朱鷺は死んで母が居無いこととなった。一勝に扮したので、母としての行いが出来ず、せめて兄衆の娘達と学ばせて母の愛情を託したのであろう。
その従姉妹衆の中に一人の家臣の娘居た。孫兵衛の妹小夜であった。
続く
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