お寺と手裏剣 六感コラム
瞑想や禅などで無意識を創ろうとしますが、無意識にするには五感を研ぎ澄ませるのでは無く五感を無防備にすると言う事です、五感を使わ無ければ意識が作動し無いのです。 脳科学的に説明すると小脳は運動の調節や熟練に関係する部分で例えば、前に歩いていこうという大脳の指示がなされたとします、すると目的の姿勢や動作がとられているか(まっすぐに立っているか、足の運びのバランスが取れているかなど)、体の各部の筋肉の緊張や緩みなどをチェックします、同時に手の振り方を指示するなど、連動して目的の運動を行えるように指示するのが小脳です。 で大脳が意識の根源なのか? 大脳からは五感と言うアンテナが張られているのです、先ずは目で考えてみましょう、 見えたから何かをする、目になにかが飛び込んで来たから手で避ける、払う、 これは目から大脳に伝わり小脳そして手に伝わり目の前の物を払う、最後に手に伝わりましたが手、皮膚で考えてみましょう 、 手もしくは皮膚に暗闇で何か得体の知れ無いモノに触れた、もしくは触れられた、この時はびっくりして慌てて払ってしまいますよね、この払いの動作は目に見えない何かが触れたという不安や恐怖で大脳に伝わり小脳から手に伝わり払う動作が起こるからです。 匂いもそうですなんが、ガス臭いと感じ大脳に判断され小脳に伝わり支持されて周りのガス器具を点検してしまうという動作が起こります。 耳、音もそうですね、うるさいからボリュームを下げたり、耳を押さえたりとかの動作が起こります。 後、口も、口に入ったものを判断し口に入った瞬間に、まずい、苦い、何だこれはと危ないと判断して吐き出しますね、熱いお茶を熱いっ!と吐き出すのは皮膚の一部ですが。 最後に第六感、 無いモノへの感!存在しないのに見える、何かが感じる、聞こえ無い音が聞こえる、何も無いのに匂う、味が無いのにこれは毒だとわかるとか。この六感がわかる人は少ないですが本来人間は皆持っていた感です。 結論、禅や瞑想は私的には五感六感を開きいつでも脳に意識を伝えるために冷静な準備している行の訓練とみております。
Comments